お久しぶりです、安倍知江です。
ずいぶん久々のブログ更新となってしまいましたが(^_^;)
先日、2月23日に友達と石巻へ行ってきました。
今日はそのことについて書きたいと思います。
一緒にいた友達は大学の同級生なのですが、実は被災した当時も一緒にいた友達です。
その友達も石巻出身の子で、地元も隣の地域に当たります。
去年のちょうど今頃にも一緒に石巻へ行きましたが、今年も一緒に行ってきました。
やっぱり、家が被災してしまった人同士でないと話せないことってたくさんあるよなぁ~
なんて思いながら、車に乗せてもらって石巻へ向かいました。
まずは私の実家のあった門脇地区へ。
…とりあえず、自分の家に入る小道が分からないくらい何もありませんでした(苦笑)。
唯一の目印は、未だに残されているお墓のみ。
お墓を目印に、だいたいこの辺が家かな…と思って写真を撮ってみたものの…
最早どこが自分の家の土地なのか全く分かりません(~_~;)
私の家の辺りは住宅地だったので家が密集している感じだったのですが、その痕跡が全くありません…
記憶にしか残ってないというのが本当に悲しいです、現実はすべて流されてしまっているんですよね。
ちなみに私はこのaCtion!の活動が始まる前から、家の近くの写真を撮りためていました。
ちょうど今回撮った辺りと同じような場所から撮った写真があります。
これは2011年7月30日に帰った時の写真です。
この時は家を解体する前の最後の帰省となりました…。
向かって右側の家が私の実家です。
何とか流出せずに残ってはいたものの、全壊でした。
手前にも家があったはずなのですが…どうやら流出してしまったようです。
辺りの家は残っていたとしてもやはり全壊です。
この写真を見る度に、門脇地区の被害の大きさ、東日本大震災の甚大さを実感します。
写真を見返していたらもう一方向、同じような向きで撮っていた写真がありました。
意識して撮っていた訳ではないので、多分無意識的に撮っていたんだと思います(笑)
私の家のあるところから石巻市立病院や石巻文化センターの方を見て撮ったものです。
これが2011年5月15日。
これが2011年7月30日。
そしてこれが今回、2013年2月23日。
周りの「瓦礫」は確かにずいぶん片付きました。
でももうすぐ2年が経つ今でも、やっぱりそのままなんです。
正直、ここに町が戻ってくるのかは分かりません。
どちらにしろ、復興にはまだまだ時間が必要なんだということを改めて実感しました。
それと余談ですが、「瓦礫」という響きは何だか悲しいものです。
周りから見れば「瓦礫」でも、そこに居た人たちにとっては家であったり、使っていたものであったり…生活の一部なんですよね。
そう考えると「瓦礫」が片付けられるというのもまた、何かを喪失してしまう気分にもなります。
でもまぁ、片付かないことには前に進まないということも事実なのでその辺は難しいところですが(・_・;)
そして私の母校である石巻市立門脇小学校。
私の家から歩いて1分くらいの距離にあります。
小学校の頃は通学が本当に楽でした、寝坊しても走れば30秒で着いちゃうから(―_―)!!
遅刻の心配なんて一切ありませんでした(笑)。そんな思い出のたくさんある小学校がこんな姿になってしまうなんて、全然想像もつきませんでしたね…
門小の写真も撮っていたものがあったので載せたいと思います。
これはちょっと見づらいのですが、震災後2週間足らずしか経ってない時の写真です。
2011年3月20日…この時はまだ火事の煙がくすぶっていたらしいです。
そしてこれは、2011年7月30日。
今回、2013年2月23日。
門小も周囲はだいぶ変わりましたが、建物自体はそんなに変わりないかなって感じです。
この建物が残るのかどうかは分かりません。
でも私としては通っていた小学校がこの場所から無くなってしまうのはとっても悲しいです。
思い出がたくさんある場所なので。
でも、残して欲しいかと問われると何と言って良いか分からなくなります。
きっと門小だけでなく、様々なところでこのような震災遺構を残すか残さないかという議論がなされているんだと思います。
これはとっても難しい問題だと私は思います…人の心や、お金、他にも色んなものが絡むと思うので。
きっとこれからも解決していく必要のある課題の一つになっていくんだろうなぁと感じております。
門脇の話になるとやっぱり長くなってしまいますね(笑)。
まだまだ書きたいことがあるのですが、長くなったので一旦ここでその①を終わりにします。
その②では、門脇地区から日和大橋を渡って隣に位置する湊地区にも少し触れながら書きたいと思います(*^。^*)
門脇でカメラのファインダーをのぞいていると、複雑な気持ちになります。
シャッターを切ることが自分にとってどういう意味なのか、考えてしまいます。
写真を残すことは確かに大事、でも自分がやる必要があるのか。
今でもよく分かりません。
でも、ふと空を見上げたとき綺麗な青空が目に映りました。
何の変哲もないただの青空だけど、被災したところからでも他の場所と変わらず空は綺麗に見えるんだなぁ~と思うと何だか嬉しくなりました(^O^)/
だから私は現実を伝えつつ、前向きになったり嬉しくなったりするようなものも発信していけたらいいなぁと、そう思いました!!